これから先の"理学療法士のあり方"について考えているかずぼーです。
僕らが苦労して取得した「理学療法士」という資格ですが、これを持っていれば安定して仕事ができる。
そう思っている人は、この先の時代で生き残るのは難しいと僕は考えています。
資格って揺るぎない価値のように感じてしまいますよね。資格を持っていることに胡坐をかいてしまい、その場に居座ることしか考えない人もいるんじゃないかと感じてなりません。
その場に居続けることが本当の安定ではありません。
安定しているというのは、時代の波(変化)に上手く乗れていることをいうのです。
ずっと同じことをしていれば、時代があなたを追い越し、実はどんどん後退していってしまいます。
理学療法士が生き残っていくには、この時代の変化を掴むことが大切なのです。
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時代の流れと経済価値の変化について
モノが不足していた時代では、そこに商品があるだけで売れていました。
例えば、テレビが発売し出した当時は、いくら値段が高くても売れていたのです。
そこから、あらゆる商品が一通り整い、テレビがあるだけでは価値はなくなり、売れなくなってきました。
企業は、テレビに付加価値をつけてることでテレビの価値を再定義しました。
デザインの「美しいもの」、「安い」、「多機能」、「スペックが高い」もの。
モノだけでなく、こだわりという付加価値を中心とした質の高い商品が求められる時代に変わっていったのです。
さらに時代は進み・・・
「美しい」「多機能」などの類似商品は世に溢れてきました。
もうモノも質も世に出尽くしたということです。
「モノ + 付加価値」だけでなく、次の時代はその商品を買うことで、
どんな体験が得られるのか?
どういう気持ちを感じることができるのか?
どうな生活が味わえるのか?
を得られる商品が求められる時代に変わってきているのです。
「モノ + 付加価値 + 体験(感動)」
これが、商品の新しい価値です。
映画館が3D映像に早くも取り組んだのはこのためでしょう。
映画館さながらの映像なら、自宅の大画面のテレビで十分だったりもします。
そこにあたかもいるかのような臨場感を体験できる。これがテレビの新しい価値になっていきました。
音楽でも歌が上手いから売れるわけではありませんよね。歌の上手い人なんて世の中たくさんいますので、歌が上手いだけではほとんど価値はありません。
実際のところ歌声はそこそこでも、人々に感動を与えられる歌詞やパフォーマンスができる音楽が売れているのではないでしょうか。
ブログだってそう。
文章が上手いだけではダメなのです。人に感動を与える、夢を与える、生活を変える文章が本当に求められているブログなのです。
理学療法士は、時代の変化をどう感じているのでしょうか?
時代の変化を考えたとき、理学療法士としての価値も自ずと見えてきます。
昔は「理学療法士」の資格を持った人が少なく、それだけで価値は高かったのです。
ここ数年の間に理学療法士の質がどうのこうのと言われてきてましたが、そもそも昔は質の「良い・悪い」は気にされてなかったはずです。理学療法士がいるだけで価値が高かったのですから。
しかし、ここ10年の間に理学療法士は激増していきました。
すでに理学療法士というだけでは価値はなくなり、「腕の良い」「賢い」「誠実」などの"質"が問われるようになってきたのです。
今では(2017年)、理学療法士は10万人以上もいて、これは世界トップの多さです。しかも毎年1万人くらい世に出てきています。
その大多数の理学療法士の中には、僕のような凡人には敵わない天才もいることでしょう。
今の時代はもう「腕の良い」や「賢い」理学療法士は世に溢れかえっているのです。
質を高めても個人における価値はほとんどないようなものです。だって、変わりはいくらでもいますのでね。
しかし、今も尚理学療法士はやれ徒手療法だの、もっと賢くならないとなど。いつまでも質ばかりが求められていて、時代の変化に追いついてないように感じます。
あなたも、時代の変化を感じませんか。
理学療法士同士で争っていては、いつまでも時代の流れに逆らっているのと同じ。
僕は、そのように思うのです。
理学療法士は質よりも、患者さんにとって
どんな感動を与えてくれる存在なのか?
どうな体験をさせてくれるのか?
どんな生活を手に入れることができる仕事なのか?
を考えていく時代にきているのです。
理学療法士が求められているものは、昔から変わっていないはず・・・
でも、よくよく考えてみると本当は理学療法士って、
どんな感動を与えてくれるのか?
どうな体験をさせてくれるのか?
どんな生活を手に入れることができるのか?
ずっとこれらのことを求められてきたんじゃないでしょうか。
痛みが消せるだけじゃなくて、生活をより豊かに。生き生きとした生活を送れるようにデザインしていくのが本来のリハビリテーションのあり方ですよね。
泣いて喜んでくれた患者さんが実現できた夢
先日、代行で片麻痺を呈している患者さんのリハビリをしました。
その患者さんは上手く手指が動かせず、リハビリ以外の時間に自分で「紙を掴む」という訓練をしていたそうです。
でも、なかなからできない・・・
それが悩みの一つだったようです。
僕のリハビリ時間には、一般的に行う感覚入力と神経筋再教育を施しました。
終わりには、自主トレでしていた「紙を掴む」動作をしてもらいました。
手の動きが微妙だったので、「こうしたら上手くできますよ。」と修正すると、
いつもはできなかった「紙を掴む」動作がそのときにできたのです。
患者さん「あ、できた。」
僕「お、できましたねー。」
このやり取りの後に、患者さんは涙を流して、「ありがとう」と言ってくれました。
今日は代行だったけど上手く導けたから、泣いて喜んでもらえた。^ ^
— かずぼー (@kazubo_rigaku) 2017年9月9日
その人がもし片麻痺を呈していなかったら、「紙を掴む」のはいとも簡単だったはずです。
障害を負い、毎日毎日リハビリを頑張っても自分ではうまくできない。
病気になる前にできていた「紙を掴む」ことをこの手で実現したい。
それがその患者さんにとっての小さくても実現したい夢だったのでしょう。
理学療法士が関わることで、「紙を掴む」方法を麻痺した手で実現できれば、患者さんは「やっとできた。」と、それはそれは感動してくれます。
テレビなどの商品は物が進化し、価値を変化させていくことで、人が本来求める形へと姿を変えてきました。
一方で理学療法士の価値とは、時代の変化とは関係なく最初から患者さんに"感動を与えること"だったのではないでしょうか。
人が求める最上級の欲は、自己実現です。
理学療法士は人と関わる仕事であり、昔から求められるものは変わっていないのです。
変わっているのは、理学療法士という商品が価値を変えていっているだけに過ぎません。
理学療法士は、いつの時代も人に夢を与える仕事なのです。
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身体を治すことばかり考えている理学療法士は、今後はAI(人工知能)に確実に仕事が奪われる
理学療法士が身体の外からアプローチできることって限られてると思うのです。
死んだ人を生き返らせるのは難しいこととわかるのに、死んだ神経を生き返らせるのに余念のない人がいるのが不思議でなりません。
確かに、脳の神経のネットワークを繋ぎ合わせていくことで回復していくことはありますが、限界はありますよね。
ましてや脊髄完全損傷の場合では、完全に元どおりに回復することは現在の医学では考えられません。
つまり、身体ばかりを治そうとするのは非常に難しいことなんです。
脊髄完全損傷では、理学療法士の徒手療法では患者さんが求める夢を実現するのが難しいかもしれません。
しかし、ここ近年ではHALからもロボット医療用機器やiPS細胞による再生医療なども登場してきています。
根本治療の難しい脊髄損傷でも自分の意思で再び動けるような、そんな時代も近いのではないかと感じています。
また、AI(人工知能)もどんどん進化していくでしょう。
リハビリでいうところの運動学習のように、蓄積されたビックデータによる機械学習が進むと人間の動きを学習していくことも可能なのではないでしょうか。
これらはあくまでもど素人の僕の未来予想図ですし、本当のところは今後このような機械や治療法が出てくるかはわかりません。
でも、出てきてほしい!
そしたら、脊髄損傷の人でももう一度自分の意思で歩くことができるようになる。
そんな時代も近いんじゃないかと夢見ています。
人間は夢を実現させるために生きている
上記のように、脊髄完全損傷でも機械の発展でまた思い通りに動けるようになる時代がくるかもしれません。
しかしながら、すべてが機械任せの人生はつまらないですよね。
そう思うのが人間です。
人間の身体は少し雑な言い方ですが、「借り物」のようなものです。
手が動くようになったなどは本当の目的ではなく、その手で何が実現できるのかが重要なのです。
ここを忘れてリハビリをしても、患者さんの心には響かないし、感動することもないのです。
たとえ借り物の身体を治せなかったとしても、実現させたい夢を叶えることができれば、患者さんはきっと喜んでくれます。
ただですね、すぐに借り物の身体を捨て、新しい機械を身につけて、夢に向かって頑張れる人はいません。
人は慣れ親しんだものに愛着を持つものです。自分の身体だってそう。
ちょっと出来事悪かろうが、この慣れ親しんだ身体で何でもできるようになりたい。人間はそういう心を持った生き物です。
もし、すべてのことが機械で補えたとしても、それはあまり面白いとは思わないんです。
自己実現を目指すのが人間ですのでね。
理学療法士の強みは「できることとできないこと」がわかる
すべてを機械で補完できる時代において、理学療法士の価値とは一体何でしょうか?
僕は、理学療法士の専門性とは身体においてどこなら自分でできて、どこができないかを見極められることだと考えています。
これは、いわゆる評価のことです。
「麻痺していても、すぐに機械で動くようにすれば良いのか?」
それとも、「いや、これだったら訓練すれば自分で動けるようになるのか。」
こうやって判断できるのは、理学療法士の得意分野ですよね。
これが非常に重要な視点です。
もし訓練で回復できるなら訓得をするし、回復できないのなら機械などで代替できる何を提供する。
そういった見極めのできる理学療法士が、今後は生き残っていけるのではないでしょうか。
これからは"夢を与えられる理学療法士"が求められる時代
人間は、自己実現を目指す生き物です。
つまり、「自分の身体で何ができるようになるのか」を常に探しているのです。
理学療法士は、患者さんの夢のためにどんな魅力的な体験を与えることができるのでしょうか?
理学療法士がいるだけで、価値のある時代はとっくに終わっています。
腕の良い・賢い理学療法士が必要な時代も終わりを告げようとしています。
これからは魅力的な体験を、夢を与えられる理学療法士が今後は生き残っていく時代に変わっていくでしょう。
僕は、そんな理学療法士を目指していこうと思います。