今回は、医療業界でもよく用いられている生活の質(Quality of Life:QOL)について考察してみました。
リハビリテーションにおいて、重要視されているものは大きく分けて2つあると僕は考えています。
それは、日常生活動作(Activities of Daily Living:ADL)と生活の質(Quality of Life:QOL)です。
ADLの向上は、病院や施設でFIMなどの点数に置き換えらえ評価されることが多いです。
なぜADL能力の向上が医療の現場で重要視されているかというと、患者さんの生活の自立度が高ければ、それだけ病気や怪我のための医療費がかからないからです。
QOLは、生きがい、やりがいなどに置き換えられ、この用語を知らない医療従事者はさすがにいないとは思います。
ですが、QOLの本質について考えてみると、実は結構置き去りになっていることが多いように僕は感じてしまいます。
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医療現場において、生活の質(Quality of Life:QOL)を維持するとはどういうことか
誰もが知っての通り人間の命は永遠ではありません。
例えば、末期癌の患者さんの場合、医療技術がどれだけ優れていても、命を繋ぐことができない場面がでてきます。
癌それ自体の痛みに苦しむ場合もありますし、癌の治療で苦しむこともあります。
このようないたずらな延命治療は、患者さんの命を救うどころか苦痛を与えているだけで、最期は苦しんで亡くなってしまうことにもなります。
亡くなるその最期まで、患者さんの尊厳と生活水準を保つように援助していくことが医療現場でも求められています。これが医療現場におけるQOLの維持になります。
参考記事)
QOLを向上させるために、まずは最低限のADLは確保しておくべき
マズローが提唱したの欲求段階説では、人間の基本的欲求を各層にわけて位置づけています。
引用)あるがままの自分を
食事をしたい、トイレで排泄したいというのは生理的欲求にあたり、怪我のないようになどの安全の欲求は生命維持のための欲求です。
下層の整理・安全の欲求が満たされていない状態の人が「映画館で映画を見たい、誰かと旅行に行きたい」などと思うことはほぼありません。
まずは最低限のADLを実用的にこなせることが必須の条件になります。
そのことを考えながら、患者さんが安心・安楽に日常生活をこなせるように療法士の力で実現していくことがまずは求められます。
QOLを向上させるには、どういう気持ちになっているのかに焦点をあてることが大切
少し前に、未来のPTさんが以下のツイートをしていましたので、引用させていただきます。
Facebookで交流している片麻痺自主トレ同好会の方々は療法士に憤った経験がある方が多い。「余生を楽しんで下さい。口で絵を描く人もいますよ?」って40歳の人が発症後に言われたそう。リハビリの知識とかよりもまずは相手の立場に立つ言葉遣いをちゃんとしないと話にならない。
— 🌏西野 英行@Mirai no PT (@PT50139040) February 18, 2017
上記のような療法士の対応は、良かれと思って発言したのかもしれませんが、もう少し患者さんの気持ちを考えたほうが良いとも思いますね。
僕たちが行う趣味・嗜好は、それ自体が当然楽しくてやっているわけですが、あくまでも何かしらの快楽を得るための手段に過ぎないのです。
障害をもち、絵が描けなくなってしまったら、患者さんは療法士とともにリハビリを頑張ると思います。
そこで後遺症が全くなければ元のように絵を描くことができるかもしれません。
でも、後遺症が残ると予測された場合には・・・
患者さんは絵を描くことが生きがいだとしたら、立ち直れそうにないくらいショックを受けます。
障害受容の過程はよく知られていますが、これがショック期にあたります。
障害受容の過程について
まず療法士がすることは、障害受容のどの段階にあるのかを評価し、その時期に合わせたアプローチをしていきます。
最もリハビリに取り組む姿勢がみられる解決の努力期では、患者さんが後悔が残らないようにリハビリを進めていきます。
ですが、どれだけ頑張っても、後遺症が残ってしまう場合もでてきます。
本当に焦点を当てないといけないのは、絵を描くことでどんな気持ちになっていたのかというところです。
例えば、「絵を描くことで家族に認めてもらえるのが嬉しい」「集中して取り組める作業が好き」という気持ちが必ず奥底にあるはずです。
療法士は、患者さんの辛い気持ちを汲み取り、その気持ちを埋めていく手段は何なのか?を探していくことが求められます。
気持ちを理解すれば、その気持ちを埋める手段はいろいろある
僕の話をさせてもらいますが、、僕は小学校からバスケがとても好きで、でも怪我をよくしていたので、さすがに今は現役バリバリに動くことはできません。
僕自身バスケをしているとどんな気持ちになっていたかを考えると、目まぐるしく点数が入れ替わる感じや、俊敏に動いたり高く跳んだりするあの躍動感が好きなんですよね。
現役バリバリの時は、自分自身がその躍動感を楽しむことができていたのですが、今ではテレビで観戦することで躍動感を楽しむことができています。
身体を動かした後の爽快感も好きなので、今では怪我が比較的少ないマラソンでその気持ちを埋めることもできています。(マラソンも怪我しますけどね。)
まだあります。
何かしら練習すれば上達したり、成長する感覚が好きなので、1年前からブログにはまって少しずつ成果がでてきいるのを感じることができています。
要するに、僕が言いたいことは手段に拘りすぎると、もし回復が頭打ちなった場合に、そこでもがき苦しむことになるということです。
それよりも、その気持ちをどんな形で埋めていくかに焦点をあてていくべきではないかと思います。
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QOLを高めるには「誰かのために」が必要。その誰かに療法士がなること
病院で働いていると「もうええ、何もしたくない」と言い張る人に出くわすことがよくあります。
トイレではなく、オムツの中で排泄している患者さん
排泄もオムツの中でしてしまうことに何の抵抗もない患者さん。
医療従事者なら「◯◯さん、オムツでおしっこをすると、感染などのリスクがありますから、できるだけトイレでおしっこをしたほうがいいですよ」と説明するかもしれませんね。
実際には、トイレで排泄したほうがいい理由はそれなのですが、なかなか患者さんが行動してくれないときもありますよね。
でも、一度でもトイレで排泄できたときに
「おっ!◯◯さん、トイレでおしっこできましたねー、リハビリした効果が出てますよ、一歩前に進みましたね!」
と患者さんの行動を認めてあげるとそれが報酬になり、患者さん自ら「やっぱりトイレでしたほうが気持ちいいな、今度からそうしよう」と行動に移すきっかけになります。
お洒落をしない人
病院に入院していると、化粧をしなくなる女性の患者さんって多いですよね。
「別に誰に見られてもいいや、病院だし誰も気心の知れた人はいないから手抜きしよう」という気持ちになっているのかもしれません。
(僕は女性ではないので、本質的な気持ちはわかりませんが・・・)
僕は訪問リハビリで、利用者さんのご自宅に伺うことがあるのですが、ある利用者さんは僕が訪問するときはいつもバッチリと化粧をしていました。
あ、やっぱり自宅に帰ったら化粧するんだなぁと思ったものですが、ケアマネジャーに聞くと、訪問リハビリのとき以外は化粧をしていないんだそうです。
その利用者さんはおしゃべりな人でしたので、僕はその利用者さんの話をよく聞いていたので、それが良かったのか良い関係性を築くことができました。
その利用者さんは、「見られても恥ずかしくないように身なりを整えておこう」という気持ちがあったので、化粧をしていたのでしょう。
そういったきっかけを療法士が与えてあげれば、また誰かのために恥ずかしくないようにお化粧をするはずです。
まとめ
今回は、QOLの本質について考えてみました。
僕たちはこれだけ恵まれた環境で生きていると、物やその手段に依存してしまうことがよくあります。
ブランド品を何度も買ってしまうのは、それを買うことでどんな気持ちになっているのかに焦点をあてきれてないから、またブランド品に手を出すことになるのだと思います。
手段に焦点を当てても、気持ちが埋まることはないのです。
その気持ちを埋める手段は何なのかを考えていけば、QOLを高める手段はいろいろ見つかるはずです。
QOLとは、言い換えれば生きがいのことです。
生きがいがあれば、歳をとっても幸せに生きていくことができます。
障害をもってしまった人が、生きがいを取り戻すためには、何ができるようになるかを追い求めても壁にぶち当たってしまい、そこでもがいてしまうことになります。
不変かつ永続的な幸せは、
何ができるようになるか、
ではなく
「誰のために」何ができるかなんです。
そこに専門家も経験年数も関係ありません。この仕事は、どこまでいっても人間味溢れる仕事なのですから。
療法士はその誰かになり、患者さんの行動のきっかけを作ってあげると良いのではないでしょうか。