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僕のこと

【全記録】交通事故から復活して理学療法士になった話

投稿日:2017年12月17日 更新日:

今から約9年前・・・

 

忘れることができない僕の貴重な体験をここに綴ります。

 

当時21歳、専門学校3年生。理学療法士の資格を取るために専門学校に通っていた。

次年度には、臨床実習や就活、国家試験の勉強などを控えた大事な年だった。

 

2009年1月上旬。年が明けて最初の登校日。

その日は、朝から三輪模試(国家試験に向けての模試)がある日だった。

僕は、自宅から最寄り駅まで原付バイクで向かっていた。

 

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交通事故に遭ってしまった

駅までの道中で、車と原付バイクの巻き込み事故に遭ってしまった。

 

後で聞いた話だが、相手の運転手はブレーキと間違えてアクセルを踏み込んだらしい。だから僕は勢いよく引きずられ壁に激突した。

そこからしばらく意識がない。

 

どれくらいの時間、意識を失っていたかはわからない。

身体を引き起こされたり、声を掛けられたりしていたような、、、寒かったのは何となく肌で感じていた。

 

意識が戻ったのは、ヘルメットを外された衝撃でだった。

誰かが「意識が戻った。良かった。」と言っている。

見たこともない部屋で目が覚めた僕は、全身に鈍い痛みがあることで「怪我をして救急車で運ばれたのか。」とまでは認識できた。

 

どこでこうなったんだ?

 

口の中に液体が溢れて息がしづらい。たぶん血だ。鉄臭い味でわかった。

救急隊の人が口の中を吸引してくれて、息がしやすくなったがドクドク溢れてくる。吸引を何回か繰り返した。

 

口の中がジャリジャリしている。砂利でも入ったか?

ん?

まさか歯が欠けたのか?

 

えらいことになった。

ひとまず手足を動かしてみた。

「動いた。とりあえず脊髄の損傷はない。歩くことはできそうだ。」と冷静に判断できた。

こういった判断は、学校で医療の勉強をしているからできることだ。

 

救急隊の人が僕の左腕を持ち上げた途端、顔が歪むほどの激痛が走った。

お気に入りだった服をハサミで無造作に切られ、「これ、開放骨折やな。」という声が聞こえた。

 

開放骨折?

 

開放骨折とは、皮膚から骨が見えてしまっており、本来無菌のはずの骨が外界と開通してしまっていることをいう。別名複雑骨折ともいう。

 

病院に到着したあたりで、どこで事故を起こしたのか思い出した。車にぶつかりそうになって避けたところまでは覚えていた。

 

レントゲン技師から「腕のレントゲンを撮る。」と言われた。

僕は、さっきから異常に痛かった顎(あご)を右手で示した。

骨折したのは人生初めてだったが、顎も骨折していると悟った。左腕が骨折しているこの痛みと顎の痛みが似ていたからだ。

 

次は、処置室へ移動した。

血を洗ったり、左腕に包帯を巻いたりしている間に、母が到着した。

血だらけの僕を見て、母は驚いているようだ。

僕は「大丈夫だ。」ということを見せるために、ベッドから上半身を起こそうとした。

それに気づいた看護師も手伝ってくれたが、上半身を起こした途端にあまりの気分の悪さに座ってられなくなり、すぐに横に戻った。

おそらく出血しすぎて、貧血になっているのだろう。加えて起立性低血圧を起こしたのだ。

 

ベッドの上に寝たまま、病室へ連れて行ってもらい、その日1日は横になっていることにした。

診断名は、「左上腕骨骨幹部骨折」「下顎(ががく)骨折」

「左上腕骨骨幹部骨折」

「下顎(かがく)骨折」

 

主治医からは、そう告げられた。

そして、両方とも手術が必要であることも。

レントゲン写真を見せてもらったが、上腕骨は連続性が断たれている。簡単に言うと、真っ二つに折れていた。

 

開放骨折では、感染を起こさないように抗生剤を投与する。手術は1週間後とのことだ。

 

上腕骨骨幹部骨折の手術では、下手すると橈骨神経(とうこつしんけい)に触り、手が麻痺しまうかもしれないとも説明を受けた。

 

橈骨神経麻痺になるとどうなるかは、学校でも習っている。

指を伸ばしたり、手首を甲の方向へ動かせなくなる。そうなると生活に支障がでる。

 

後遺症を患う可能性があると聞かされても、どこか他人事のようだった。

自分に限って、手が動かなくなるなんて信じられない。

 

一応、「上腕骨骨幹部骨折」についてネットで調べてみた。

上腕骨骨幹部骨折は、若年者に多く、交通事故により受傷することが多い。後遺症の可能性として、橈骨神経麻痺を呈することもあると記載されていた。

まるで僕のことでも書いているかのようだ。

 

教科書通りの骨折をしたわけだが、そう考えるとこの骨折はよくある話で、医師も手術には慣れているんじゃないのか。

主治医も、手術自体はそれほど難しいものじゃないと言っていた。

 

きっと、大丈夫だろう。

そうやって、ポジティブに考えるしかなかったのかもしれない。

病院ではプライバシーなどほとんどない

顎は骨折しているし、顎関節は外れている。口の中は骨が飛び出ているようで舌にあたって、血が滲む。

 

事故してから何も食べていなかったので、お腹が空いた。

3時頃にりんごを剃ったのを口にした。

 

おしっこがしたくなったので、ナースコールで呼ぶと、介護士のおばちゃんが尿器をもってきてくれた。

 

尿器を受け取り、右手だけで何とかしようとしたら

「いいよ、いいよ。手伝うから。」とおばちゃんは言う。

「いや、いいです。」と僕は言う。

「こぼれたらダメだから、手伝う。」と言うおばちゃん。

「いらない。」と僕は言って、出て行ってもらった。

 

おばちゃんに排尿を手伝ってもらいたくはない。

もう少しデリカシーを持った方がいいんじゃないかと思うんだ。

 

病院にいるとプライバシーなどほとんどない。

ベッドに寝ていると、看護師は突然カーテンを開けるし、カーテンの上から誰か知らない人が覗いてくる。

隣でお見舞いに来た人が、大声で話している。

 

自分がベッドから離れれば良いのだが、動けない。

ほんとにストレスが溜まる。

人生終わったと思い、涙が出た

事故翌日。

 

車椅子に座れるようになったので、鏡で自分の顔を見てみた。

顎から首にかけて、パンパンに腫れ、下顎は左側にズレている。

歯も欠けている。

 

なんでこんなことになったんだろう。

こんな顔になってしまって、人生終わったと思い涙が出てきた。

 

夕方頃、母がまた来た。

看護師からは「車椅子で移動してね。」と軽く言われていたが、少しは歩けるか試してみた。

右足の親指が痛くて、変な歩き方になったが、歩けた。

「おっ、歩けるやん。」と言う母。

昨日は、座るだけでも気分が悪くなっていたのに、我ながら回復が早いなと感じた。

 

僕はその場で片脚スクワットをしてみせた。

こんなことくらいは、怪我をしていなかったら余裕でできていたことだ。これもできた。

 

母は「やめとき。無理せんでええ。」と止めるが、僕にとっては大事なことなんだ。

病院の夜はとても長い

入院していると居場所がないので、ベッド上で寝ているか、車椅子に座っているかのどちらかが多い。

18時の夕食が済めば、あとは暇だ。

 

下手に動くと、左腕に激痛が走るので、ベッド上でじっとしていることが多かった。

時計を見ると21時。そろそろ消灯の時間か。

 

事故をしてから一日中ベッド上で寝ているから、眠たくならない。

まだ22時かぁ。

 

・・・

 

・・・

 

隣のベッドからいびきが聞こえる。

いびきが気になって寝られない。

いつも思う。いびきをかく人よりも先に寝てしまいたいと。

でも、いびきをかく人に限って、眠りにつくのが早い。

これだから病院の共同部屋は苦手だ。

「個室に移りたいなぁ。」と思うのは、隣の人のいびきがうるさいときだ。

 

明日、また母が来る。

耳栓を買ってきてもらおう。

 

夕食後、18時から朝の6時まででも12時間もある。

患者の立場になると、夕食後の時間をどう過ごそうかといつも悩む。

 

入院中の夜はいつも長かった。

夜に眠れないおかげで、午前中が異様に眠たい。いわゆる昼夜逆転というやつだ。

トイレをどうやってすれば良いか悩んだ

左腕は全く動かず、少しでも動けば激痛が走る。

えぐられるような痛みだ。

骨折ってこんなに痛いものなのか。

 

一度痛みが走ると筋肉が防御収縮を起こし、それが骨折部にも響きさらに痛い。そうなると悪循環である。

だから、できるだけ左腕は動かないようにしたい。

 

一番困ったのは、トイレだ。

トイレに行くときは車椅子に乗り、左腕を三角巾で吊る。

なぜ三角巾で吊るのかというと、右手でお尻を拭くときに、左腕がブランブランになると痛いからだ。

 

でも、三角巾を自分で付けることができない。

じゃあ、1日ずっと三角巾をつけておけば良いだろという話なのだが、左腕は重いのだ。ベッドの上でもずっと付けているのは辛い。

だから、ベッドでは三角巾は外し、トイレでは三角巾を付けることにした。

 

僕がそういう工夫をし出したことは、看護師は知らないだろう。聞かれてもいないから。

 

トイレの度に看護師を呼び「三角巾を付けてほしい。」とお願いしなければいけない。トイレが終われば、自分で三角巾を外し、ベッドで横になる。

 

たまたま看護師長が通りかかったので呼び止めた。

例のごとく、三角巾を見せながら「付けてほしい。」とお願いした。

僕の呂律が回らず、何を言っているのかわからなかったらしく「何?」聞き返された。

 

「トイレ行くから、付けてほしい。」と僕は言った。これだけ喋ると、もう口が痛い。

看護師長は、「トイレはあっち。」と言う。

いや、そうじゃない。

 

これ以上喋ると、飛び出た骨が舌に当たり、血が滲む。

僕は手短に「三角巾を付けてほしい。」とだけ言った。そうすればトイレに行けるのだ。

 

すると、看護師長に「話が噛み合わないね。」と言われた。

 

その言葉に僕は喋る気が失せてきた。

この看護師長は、以前にもベッドサイドに来た際、僕を見て「おとなしいね。」「喋らないね。」と言っていた。僕はただベッドで横になっていただけだ。

 

僕は、好きで大人しくしていたんじゃない。喋らないのは口が動かないからだ。

わざとわかりにくく話していたわけじゃない。口を動かすと痛いからだ。

僕は、無神経な看護師と話がしたいわけじゃない。

ただ、トイレに行きたいだけだ。

 

その看護師長には二度と頼まないことにした。「話が噛み合わない。」はこちらのセリフだ。

こんなことを平気で言う人の世話なんか受けたくもない。

トイレに行くために看護師を呼ぶのはもうやめた。

 

だから一人でトイレに行くためには、どうしたら良いか考えた。

理学療法士になった今だったら思う。アームスリングを貸してくれたら、自分で取り外しができたのに。

 

問題は、お尻を拭くときに左腕をどうやって固定するかだ。

僕が考えたのは、左腕を車椅子にのせておくことだった。

初めてやってみたときに、左腕が落ちないか心配しながらしてみたが、上手くいった。

「はぁ~。これで一人でトイレに行ける。」

もう誰も呼ばなくて良い。そう思うと気が楽だった。

 

しばらくそうやってトイレに行っていたある日。

隣のトイレで「ドスン!」と音がした。

 

数秒ほどして、看護師2、3人が駆けつけて来た。

どうやら、一人でトイレに行こうとした患者さんが転倒したらしい。

外ではザワザワ、バタバタ聞こえる。

たぶん、患者さんを起こしたり、車椅子に座ってもらったり、血圧を測ったりしているのだろう。

 

あ~、この患者さんも僕と同じなのかな?

一人でトイレくらいは行きたいよな。

誰かに助けてもらうなんて嫌だよな。

僕は車椅子に乗るのをやめた

顎が外れている僕の食事は、流動食と味噌汁ばかりだ。

とにかくお腹が空く。

確か1階に自動販売機があったはずだ。

病室は5階だったので、僕は車椅子乗り、エレベーターで1階に降りようとした。

 

すると、40〜50歳くらいの人が僕にエレベーターを譲ってくれ、扉が閉まらないように支えてくれている。1階に着けば、僕を先に通してくれる。

僕は頭を下げながらお礼を言った。

 

でも、なぜか惨めな気持ちになった。

怪我をしてても自分で扉くらいは何とかできる。

障害者と健常者と分けたときに、今の僕はどう見ても前者だ。「助けを受ければ、ありがとうと言う側」の人間だ。

気遣ってくれたのはわかる。僕も怪我していなければ、車椅子に乗っている人におそらく同じことをするだろう。それが社会的には正しい。

 

だけど、障害者はもしかしたら色んなところで、僕と同じ気持ちになるのかもしれない。

 

何でもかんでも助けてあげるのが、本当の気遣いじゃない。自分で何とかしようとしている人がいるなら、そっと見守るだけでも良い。

困っているようなら、そっと助けてあげる。それくらいのスタンスで良いのではないか。

身体が不自由な人を助けてあげるのは当然だ。だけど「あなたは、私と変わらない。」というメッセージを送ることも大事なのではないか。

 

僕は、自立を目指す障害者の気持ちが少しわかった気がした。

車椅子に乗るのはもうやめた。

自分の足で歩くことにした。

階段は怖い・・・

数日後。

またお腹が空いたので、1階の自動販売機に行くことにした。もう毎日行っている。

お目当はココアだ。

主食が液体ばかりの僕は、初めて1階の自動販売機のココアを飲んだ時、その衝撃的な旨さに病み付きになっていたのだ。

 

どうせなら、試しに階段で降りてみようと考えた。

だが、階段の前に立った途端に「怖いな。」と感じた。

 

この記事を書いている僕は30歳。この年齢でも階段くらいは駆け足で降りられる。

当時21歳で左腕を骨折し、体力が落ちている僕には階段を降りる行為がとても怖く感じた。

 

左側に倒れたら、支えられない。足を滑らせたら、ただじゃ済まない。

でも、僕はチャレンジだと思い、階段を降りてみた。

一歩ずつ、慎重に。

手すりは左側に付いている。出来るだけ、右側の壁に身体をくっつけ、足元をしっかり確認しながら、ようやく4階のフロアに降りることができた。

ちょっとした達成感と同時に、これは1階までは怖いな、無理だなと思い、その階からエレベーターで降りることにした。

 

きっと、片麻痺を呈した患者さんも同じ気持ちになるのかもしれない。

病気になる前と身体が違うわけだ。感覚も違う。姿勢が崩れた時のバランス能力も計り知れていない。

 

僕は初めて経験する動作が怖いことを知った。それとチャレンジしたくなる患者さんの気持ちも何となくわかるのだ。

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手術当日

手術前夜には精神安定剤が処方される。

手術前に不安にならないためだ。

 

これを21時頃に飲むと、その日はぐっすり眠れる。

翌朝のごはんの時間も起きれないくらいに良く眠る。

 

もう眠い眠い。

 

手術は12時頃からと聞いている。

いよいよ手術の時間になり、看護師に促されるまま、車椅子に乗って手術室へ移動した。

意識はぼんやりしていて、いつでも眠れそうだ。

 

手術室には、何やら器具が沢山ある。

僕は車椅子から降りて、手術台で仰向けになった。まるで調理でもされるかのような感覚だ。

 

名前を確認され、「全身麻酔しますね。」と言われた。

恐怖はない。そんなことよりも朝からずっと眠い。

実は、全身麻酔は初めてではなかった。高校時代の部活で膝の靭帯を切ったときも手術したことがある。

 

全身麻酔はつないである点滴に流し込む。

僕は眠ることにした。

目が覚めたら、手術は終わっているはずだ。

 

・・・

 

・・・

 

身体を揺らされて、目が覚めた。

「終わりましたよ。」という看護師さんの声。

 

もう終わったのか。まだ寝足りないんだけど。

手術は7時間半かかった。

左腕と顎を手術したからなかなか時間がかかったらしい。とりあえず手術は無事に終わった。

 

ベッドに寝たまま病室に戻ると、だんだん意識が戻ってきた。

痛みを感じないのは、まだ麻酔が効いているからかもしれない。

それよりも、お腹が空いた。今日1日何も食べていない。

空腹となんとも言えないダルさがかなりきつかった。

 

しかも、尿カテーテルが装着されているではないか。これがかなり気持ち悪い。

僕はこれ(カテーテル)を外してくれと看護師にお願いした。

 

「麻酔で尿意がないと膀胱が破裂するかもしれないから。」という理由で、翌朝までつけっぱなしだということだ。

耐えられない。気持ち悪い。

いや、尿意はある。

これが付いているから、おしっこがちゃんと出ないのだ。そんな気がする。

そういった類のことを看護師に言ったが、主治医が判断するから出勤するまで待ってほしいと言われた。

一晩中、空腹とダルさと尿カテーテルの気持ち悪さのトリプルパンチでかなり滅入った。

翌朝、ようやくカテーテルを外してもらった。

 

手術後は、発熱と貧血症状で2日ほどまともに動けなかった。

学校の先生の言葉が忘れられない

手術3日後。

ようやく熱も下がり、貧血は少し残っているが、いつも通りお目当てのココアを歩いて買いに行けるほど回復した。

 

リハビリも開始した。

肘(ひじ)は90°くらいまでしか曲がらない。肘の後面が突っ張る。

担当の理学療法士に肘を曲げてもらうのだが、ぎゅーっと持続的にストレッチをかけられると痛い。

持続的にストレッチをするときは、休み休みしてもらえると助かる。

僕が理学療法士になり、患者さんにストレッチをする際はこのことを考慮してするようにしている。

 

昼頃。

学校の先生がお見舞いに来てくれた。

担任の先生は、もちろん理学療法士だ。

 

先生は、プリンを持ってきてくれていた。

顎は金属で固定されているので、液体しか口に入らない。

僕の顎の状態を詳しくは知らなかったらしく、「あ、ごめん。ジュースのほうが良かったね。」と言ってくれた。

僕は「大丈夫です。ありがとうございます。」と言った。

 

「だいぶ手が浮腫(むく)んでるね。動かしたりしてる?」と言われ、

「はい、こうやって動かしてます。」と答えて、手を閉じたり、開いたりをチョコチョコしてみせた。

 

「しっかりグーして。しっかりパーしてみて。深屈曲。深伸展ね。」

僕は言われた通りにしてみた。

 

「筋ポンプ作用で、いくらかマシになると思うよ。」と先生は言う。

筋ポンプ作用とは、筋肉を収縮し、静脈やリンパ管を刺激することで、末梢に溜まった水分を心臓へ返す働きのことだ。

 

僕は夕食後から、言われた通りに深屈曲と深伸展をひたすら繰り返した。

なんせ暇だから、テレビを見ながらも繰り返した。

すると、寝る前にはかなり浮腫(むくみ)が引いていた。

 

さらに翌日は、ほとんどの浮腫が引いていた。

かなりグーパーがしやすい。1日でこんなにも変わるのか。

「理学療法士ってすげー。」っと思った。

 

よし、それなら左腕も何かやってみようと考えた。

左腕は、まだ全く動かない。

ベッド上で仰向けのまま、右手で左手を持ち、頭の方まで持ち上げたり、戻したりを繰り返してみた。

そうやって1週間くらい経った頃には、半自動的に左腕だけで重力に抗することができるようになった。

久しぶりに左腕が自分の力で動いたのだ。ようやく元に戻りそうな兆しが見えた。

 

お見舞いに来てくれた学校の先生から言われた言葉を、今でもよく覚えている。

「辛いと思うけど、この経験を覚えときな。」

それだけ言われた。

 

何を覚えておくと良いのかは、入院中の僕も今の僕もよくわかっている。

患者を経験してみてわかった感覚。

僕は先生に言われた通りに、この感覚を覚えておくことにした。だからこうして昨日のことのように気持ちが蘇る。

 

理学療法士になって8年絶つが、それが患者さんの気持ちを汲み取る時に、ものすごく活きる。

それを先生は伝えたかったのだと思う。

マイナスからやっとプラスに進み出した

手術してから2週間くらいした頃。

上下の歯を固定してある金属の一部をとってくれるとのことで、形成外科の診察室に向かった。

 

ようやく口を開くことができた。

とは言っても、まともに開かない。

事故からの3週間で腹話術が達者になっていた僕は、少しだけ口をパクパク動かしてみた。

 

何か固形物を食べたくなってきた。

すぐに母親に連絡して、チョコレートを買ってきてもらった。

板チョコだ。

それを500円玉くらいに小さく割って、口の中に入れた。

噛んでみたが顎の力が弱く、チョコを噛み砕けない。

仕方ないので、舐めながら溶かし、柔らかくしてから、噛んで砕いていった。

久しぶりに食べ物を噛む感覚だった。

美味しかった。エネルギーが湧いてきた気がした。

 

また1歩、事故する前に近づいた感じがして嬉しかった。

 

まだまだやることはある。

この頃、左腕はようやく重力に勝てる程度だ。元通りにはほど遠い。

前歯3本と奥歯一本も欠けたままだ。これも治していかないといけない。

 

だけど、事故をしてから手術するまでの1週間は、腕がくっつくわけでも、顎が治るわけでもない。マイナスのままだった。

それが、手術をしてようやくプラスに進み始めた。そういう感じがしていた。

元の生活に戻るには時間がかかる

事故から約1ヶ月で、僕は退院した。

 

退院後は自宅で1週間安静にしてから、学校に行こうと決めた。

学校の先生からは、「出席のこともあるから、学校に来れるなら来るように。」と連絡があった。

 

入院生活は、精神的にしんどいことも多かった。

明らかに落ちた体力も戻っていない。

1ヶ月で体重は7キロ減った。顔も痩せコケている。できれば見られたくはない。

手術して骨がくっつき、筋力が戻ればすぐに元どおりの生活に戻れるわけではない。

 

僕が理学療法士になってからも、「しばらく生活に慣れてから、仕事復帰しようかな。」と言われる患者さんは多い。

客観的に見ると、すぐに仕事復帰ができそうなものなんだけど、身体だけでなく精神が参っているのだ。

当時の気持ちはいつでも蘇る

最悪の年明けとなり、学校の出席が心配されたが、それでも無事に4年生に上がることができた。

4年生は、2ヶ月の臨床実習が2回、就活、国家試験の勉強、合間にリハビリをしつつと何かと忙しかった。

 

実習では、力の入らない左腕を誤魔化しながらやり過ごした。

翌年、国家試験にも無事合格し、交通事故によって理学療法士になれない事態を避けることができたことに安堵した。

 

僕が理学療法士になってからの8年。

辛い気持ちを打ち明けてくれたり、涙を流して話してくれる患者さんを沢山みてきた。

患者さんの話を聞いていると、自分が怪我をして入院した時のことを思い出す。

患者さんが体験したことは、話を聞いて想像することしかできない。

だけど、患者さんがどういう気持ちで入院しているのか、どんなストレスがあるのかがわかる時がある。

僕も同じような気持ちになったことがあるからだ。

 

僕が怪我をして、辛い気持ちになっていたとき。

どんな言葉をかけてもらうと気持ちが楽になったのだろうか。何をしてもらうと良かったのかだろうか。

 

他人の気持ちはわからないことが多い。

だけど、同じような経験をした人は、想像ではなく、リアルに人の気持ちを感じることができる。

 

理学療法士になった今でも、僕はこの気持ちは忘れないでいる。

 

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