理学療法士のかずぼーです。
今回は、日頃から情報共有をしている「理学療法士 × コミュニケーション」を実践し、ご自身のブログやセミナーでも情報発信をしている理学療法士の喜多さんといろいろお話をする機会を得ました。
その内容をここでご紹介したいと思います。
ちなみに、職場における「ストレスの原因ランキング」みたいなグラフをいくつか眺めていると、上位に必ずあるのが人間関係によるストレスです。
自分の思いを上手く伝えられたら・・・
相手の気持ちを理解できたら・・・
そうやって悩でいる人はきっと多いはずです。
コミュニケーションって、場面によっては困るし、ん~別に困らないような・・・そんな曖昧な感じなんですよね。
人間関係のストレスって、実はコミュニケーションのズレから生じるものであるが故に、逆に言えばコミュニケーションが上手くとれれば実はほとんどのストレスは解決できたりもします。
僕自身は臨床において、コミュニケーションは最も重要としているスキルの一つです。
なんなら、もう口だけでリハビリをやってるくらいです。笑
それは言いすぎですが、それくらい重要だと思っています。
スポンサーリンク
対談者の紹介
喜多さん
9年目になる理学療法士。
・学会発表多数
・セミナー講師
・ブログ運営
などマルチに活動されています。
(「理学療法士です!」としか言えない僕とは雲泥の差。苦笑)
臨床経験や自身の活動からコミュニケーションの重要性に気づき、ブログでも配信されています。
コミュニケーションのことなら喜多さん!という感じで、療法士に有益な情報をバンバン発信しています。
(詳しくは喜多さんのブログを参照)
かずぼー
僕です。理学療法士8年目、当ブログの運営者。
リハビリにおけるコミュニケーション能力とは
ところで、コミュニケーションといっても対象者は様々ですよね。
・職場の人と
・先輩と
・後輩と
・実習生と
・バイザーと
・患者と
「患者さんとコミュニケーションをとる」と言っても、
・リハビリを拒否する人と
・障害の受容ができていない人と
・こだわりのある人と
・易怒性の人と
・やる気ない人と
・認知症の人と
めちゃめちゃ細分化されます。
こうして対象者や場面を細分化するとコミュニケーションの方法がちょっとずつ違ったりもします。
また、自身の立場によってもいろんなバリエーションがあります。
・恋人に対しての自分
・家族に対しての自分
そして、
・患者さんと関わる療法士としての自分
こうやって立場によっても、求められるコミュニケーションスキルは変わってきます。
僕らは、療法士としての立場から患者と日頃から関わっています。
恋人とでも、家族とでもなく、療法士ととしてです。
ただ単に仲良くなるだけだったら患者さんにも友だちがいるでしょうし、家族のような関係性が必要ならそれは家族がいますよね。
わざわざ療法士が関わることではありません。
療法士の僕らは、患者さんとコミュニケーションを取る際は、やはりプロとして関わる必要があると考えています。
喜多さんがコミュニケーションを学ぼうと思ったきっかけ
喜多さんは、どうしてコミュニケーションを学ぼうと思ったのですか?
僕は若手のころには運動学習を中心に勉強していました。
モーターコントロールとか読みまくってたわけなんです。そこで運動学習が成立するためには動機付けが必要、って感じ始めたんですよね。
ここでの動機付けというのは、患者さんが「よし!歩き方を良くするために頑張るぞ!」と、取り組む気持ちになるということです。
確かに患者さん自身が頑張って取り組もうと思わないと、運動学習もくそもないよな~。と思ったんです。
でもね、当時は動機付けに関して書いている本や論文が療法士の分野ではほとんどなかったんです。
「動機付けができてなかったら運動学習なんて進まないやん!」と感じて、それがきっかけで動機付け理論を勉強するようになりました。それが当時3年目です。
動機付け理論って本当に役立つものがたくさんあるんですが、それらをリハ職がちゃんと使えるようになるためには、上手に声かけしたり環境設定したり・・・色々とアイデアを絞り出す必要があるんですよね。
そこで、コミュニケーションが上手くとれないと、動機付け理論も使えないな~という理由からコミュニケーションを学び始めるようになりました。
この時7年目です。時間が経ちすぎです。笑
なるほど。ありがとうございます。
運動学習においてコミュニケーションが重要な理由
いきなり話が変わるかもしれませんが、喜多さんの治療の中核って運動学習ですか?
ちなみに、僕も運動学習ってめっちゃ大事だと思ってます。
理学療法士って、患者さんにとってはあくまでも感覚でしかないんですよね。最終的に患者さんの自立を目指すのなら、療法士が提示した感覚情報を脳が認知しないといけない。
つまり、患者さんの中で得た感覚を咀嚼し、脳で学習する必要がある。これが運動学習ですよね。
その入り口として、動機付けってかなり重要だと思います。
僕の思考の中核は運動学習だと思いますよ。
筋力にも運動学習が関わってきますし、暗黙的学習(潜在学習)も大切だと思ってます。
暗黙的な運動学習(潜在学習)を狙ってるときってコミュニケーションはほとんどいらないと思っているんですけど、僕の臨床ではほとんど明示的な方法で運動学習を促すので絶対必須なんですよね。
暗黙的とは、無意識ってことですか?
運動学習の最初の段階は意識が大事だと思ってます。ここが明示的な方法ってことなんでしょうか?
そういう場面で、コミュニケーションを通してどういう感覚を理学療法士は与えられるか?
どういう感覚なら患者さんが受けとってくれるのか?
それを探る手段として、コミュニケーションは重要。そう解釈したのですが。
意識の定義をどうおくかでも変わってくるんですけど、意識させる方法と意識させない方法があります。
無意識が暗黙的。意識させることが明示的で、ひとまずは良いように思います。
運動学習って、ほんと患者さん主体のリハビリでないと成り立たないなぁって思ってます。
理学療法士が適切な情報を与えるためには、ちゃんとしたコミュニケーション能力が必須なんですよね。
運動学習ってなんというか、患者さんが能動的に学習する分にはすごく簡単にいくんですが、例えば脳卒中などで運動学習が難しい患者さんの学習を促していく上で、気をつけていることって何かありますか?
言葉一つ伝えるのでも「ふわっと足をあげて」「そっと足をあげて」「ぐっと足をあげて」というようにいくつもバリエーションがあって、その言葉から生じる動きって全然違うんです。
患者さんは「この言葉をどう受け取ってるかな?」というように考えてコミュニケーションをとっていかないと、絶対に良い運動学習は促せないと思っています。
気をつけているのってまさにこの部分で、言葉をどう受け取っているか、言葉から何を考えているかを常に気を付けてみてます。
コミュニケーションは、理学療法士の持っている能力を最大限に高める手段になる
喜多さんにとって、コミュニケーションはどういう位置付けなのですか?
なぜ、リハビリでそれほどコミュニケーションが重要になるのでしょうか?
多くの療法士が「コミュニケーションはもちろん必要でしょ!」って答えると思うんです。僕もそう思っています。
でも、よく言われるのが「わざわざ勉強しなくていいよね?」ということです。
確かにコミュニケーションがとれても、運動麻痺が直接治るわけじゃない、痛みが直接治るわけじゃない、トイレ動作が直接獲得できるわけじゃない・・・ですもんね。
僕の考える療法士にとってのコミュニケーションって、療法士の持っている知識や技術を拡大したり支えたりする意味があるものなんです。
患者さんが療法士の事を信頼するためにはコミュニケーションが必要ですし、安心して治療を受けるためにはコミュニケーションが必要。動作や行為が上手くなるには療法士のアドバイスを聞いてもらわないといけないのでコミュニケーションが必要。
あっちこっちでコミュニケーションが必要になっているのですよね。
うんうん、それも「分かってるよ!」ですよね。
これは僕の実感なのですが、ちゃんとコミュニケーションを考えて、学んでみると臨床が思ってるよりも変わるんですよ。
これは実感してみないと分からないので、騙されたと思って勉強してみようぜ!と常に発信しています。
別にコミュニケーションを勉強するからって、徒手療法やファシリテーションを勉強しちゃいけないわけではないです。
コミュニケーション”も”勉強しようぜ!ですよ。
喜多さんのなかで、コミュニケーションとは運動学習もそうですが、徒手療法、ファシリテーションなどの治療法を最大限に引き出すものと考えているのですね。
ちなみに、僕がそのように思っています。
そうですそうです!
コミュニケーション自体が治療法ではなく、コミュニケーションがそれらをより強くさせる的なイメージです!
なるほど。僕の臨床のイメージと似てます。
何かアドバイスをするときに、コミュニケーションは必要。これは誰でもわかると思いますが、徒手療法やファシリテーションの場面って、身体にアプローチしてるわけですよね?
このときにコミュニケーション能力が必要ってどういうこと??と思う人もいるかもしれませんが、その場面でなぜ重要なのでしょうか?
手足を他動的に動かす時には「力を抜いてください」とか、自動で動いてもらう時には「力を入れすぎないで」とか、患者さんの協力が必要でない時って滅多にないですよね。
コミュニケーションってなんかニコニコしていい接遇して・・・なんてイメージがあるかもしれないけど、「身体とのコミュニケーション」とかいうとイメージが湧くかもしれませんよね。
自分の身体とコミュニケーション・・・
なんかカッコええこと言うてますねwwww
確かに療法士は人と接する仕事ですので、どの場面においてもコミュニケーション能力は必須ですね。
あ、自分の身体とコミュニケーション!!
これ、めっちゃわかります!
喜多さんと解釈が違うのかもしれませんが、僕は自分の身体や性格がもろに患者さんに影響を与えると思っています。
なんかコミュニケーションって「患者さんのことをどうやって知ればいいのか」みたいに思う人がいるかも知れませんが、
一番知らないといけないのは自分自身なんですよね。
自分の言葉や態度が患者さんに影響を与えてるんです。
それが適切なら、患者さんからの反応も絶対に良くなる。
で、返ってきた反応で自分の言葉や態度も変えていく。
それが円滑な関係性を築くことになるんですよね。
自分のことを知ることが重要。それはほんまに言う通りだと思いますね。
小手先のコミュニケーションスキルだけを高めても、自分自身とのコミュニケーションが上手くできてないチグハグな精神状態だと、患者さんのこと知ろう!なんてところにはたどり着けないんですよね。
で、性格なんかも大きく影響しているのも、その通りに感じますね。
性格の悪さを抑え込んでコミュニケーションスキルで勝負出来てる人、見たことない。笑
もう一つはケア的な観点からもコミュニケーションって重要です。
同じように関わっても「あの人に関わってもらったから良くなった」と感じてもらうのってすごく大切だと思ってるんです。
僕ら療法士も嬉しいし、良くなった患者さんも嬉しいし、良いことだらけです。
そして患者満足度とかクレーム対応とかももちろん、その人の人生の一部に"ちゃんと"関われることってすごい大切だと思ってて、その手段としてコミュニケーションが武器になると考えてます。
ケア的な視点というのは、患者さんに喜んでもらうこともあれば、不満もでることがある。
それらをうまくコーディネートできる手段としてコミュニケーション能力が必要ということですね。
スポンサーリンク
暴言・暴力のある患者さん。理学療法士はどう対応する?
こっちが頑張っても暴言・暴力で傷付けてくる患者さんって実際いるじゃないですか?
そんなときって、かずぼーさんはどうしてますか?
僕は最初から暴言を吐く患者さんはいないと思ってます。
それは脳科学を勉強していると少し理解が深まるんですが、それって前頭葉の機能低下か扁桃体の過剰反応なんですよね。
認知行動療法なんかが効果的な治療の概念なのかなぁと思います。
注釈:認知行動療法は、不快である認知を行動(療法士の関わり)で変えていくこと。
暴言を吐くということは、その患者さんにとっては療法士自体が不快なんですよ。だって、一人で寝転んでて暴言を吐いてる患者さんはいませんからね。
療法士が現れたから暴言を吐いたんですよ。
まぁそもそもオムツ交換とか、無理やり点滴とか運動させるとか・・・最初の医療従事者のもろもろの対応が悪くて、患者さんは「もう訳わからんから全部抵抗したれーーー!!」
みたいな感じになってんじゃないかと思います。
なので、もう一度そういう誤解を解いていきます。
まず初めに、療法士の存在自体が不快でないことを示します。
そして、触れることが不快でないこと、動かすことが不快でないこと、運動が不快でないことを示すんです。
これは、患者さんの反応を見ながら自分の言葉と態度をコロコロ変えていきます。
で、不快だと思っていた感覚から、本当は快情報であることを認知してもらいます。
快情報を与える手段には、療法士の声かけや心地良いマッサージなどを使えばいいと思います。
でも、ちゃんと患者さんと対話できないとその声かけもマッサージすらも不快になるんですよね。
最初というのは"原因もなしに"という意味ですよね。
初めて出会ったのに「え!?」みたいなことあるじゃないですか?
ドキッとしません?笑
その時に自分とのコミュニケーションが大切になってくるんですけど、どう自分とコミュニケーションをとってます?
僕らは仏じゃないから、イライラしたり悲しくなったりもしちゃうもんですが。
拒否とか暴言があるときは毅然とした態度で接します。
ぶっちゃけ初対面で、僕がキレられる筋合いないですから。笑
でも、そこで「どうして怒ってるんですか?」「何がそうさせているんですか?」ってやっぱり気になって詳しく訊きますよね。
訓練に誘おうなんてのは、そのあとの話です。
人って、自分のことを詳しく聴いてくれるくれる人に好感を持つじゃないですか。みんなそうですよね。
特に感情的になってる場合は、その気持ちをどこかにぶつけたくなるじゃないですか。
普通に会話してしてるだけで、暴言吐いてくる人ってあまりいませんのでね。
まぁいなくはないですが、そのときは速やかに撤退します。それがその時の患者さんにとって快刺激ですのでね。
でも僕は「今日はやめときますね。明日またきますから、そのときにまたお願いします。」とちょっと仕込んでから去っていきます。この辺のテクニックは、返報性の原理と単純接触効果ですね。
注釈:返報性の原理とは、相手に何かしてもらったらお返しがしたくなる社会心理学の一つ。単純接触効果とは、何度も同じ人・モノに接すると親近感が芽生えてくること。
あ、なるほど。
割とメンタル強めですね。笑
僕は悲しくなっちゃうので、心折れそうになるんですよね・・・
私のせいではない!と反芻することで、ようやくニュートラルに戻せます。
相手の言葉に傷つきそうになることはあると思います。
でも、僕は言葉自体をそのまま受け取らないようにしてます。
「死にたい」と言っても、本当は「助けてほしい」「わかってほしい」って感情が隠れていますので。
心の奥にどういう気持ちが隠れているのか、何を大切にしているのかを探るようにしてます。
普通は快刺激とされるものも、時には不快なものになるときもあって。
それってどう評価してますか?
結局のところ、相手の反応をみながら臨機応変に対応するのがベストなんでしょうね。
患者さんの表情や態度にも出るでしょうが、一番良いのは患者さんに訊いてみることですよね。
昔からコミュニケーションが得意だったの?
こうして語ってる僕は言うてコミュ障です。笑
ほんと、友達とか上司とうまく話せなかったりしますもんね。
喜多さんは昔からコミュニケーションは得意だったのですか?
実は僕もコミュ障です。笑
学生時代の同級生は「喜多がコミュニケーション!?」と思っているはずです。
昼食を一人で食べたりするのも日常的だったし、一人でもしんどくなかったので・・・孤独を気取ってるとか思っている人もいたようです。
笑。
喜多さんとは実際にお会いしたこともありますが、僕のイメージでは人脈ありそうですけど。違うんですかね。
僕も一人で弁当食べてた派でした。笑
本当はいろんな人と話したり遊んだりしたかったんですけど、どうすればいいか分からない・・・そんなんでした。
今も友達付き合いっていうのはどちらかと苦手で、困っています。
どうやって仲良く旅行とかいけるようになるのか教えて欲しいです。笑
友だちと仲良く旅行に行く方法は僕もよく分かりません。笑
僕の場合は、友達と関わるときも患者さんと関わるときも、できるだけ素を出すようにしてます。
だから患者さんの前でも冗談を言いますし、毒も吐きます。これが意外とウケるんです。
全員に好かれようとして八方美人になると嫌われはしないけど、好かれもしない気もしてます。
僕は素を出すっていうのがよく分からないないんですよね。
これでも(?)気を使いながら人間関係を構築してます。
だから患者さんとの関わりは気合い入れて色々出来るんですけど、友達関係となるとどうしていいか分からない・・・。
今の職場の人は割と気兼ねなく話せるんですけど、素を出して…はよく分からないんですよね。
でも全然悩んでるわけではなくて、まー自分はこういうもんだし、という認識です。
コミュニケーションが上手くとれなくても"気にしないこと"って大事
なんとなく対象者によって、得意、不得意はあると思うんですよね。
患者さんとなら上手く話せる人、後輩なら、恋人とならって感じで、こういう属性の人には得意。
でも、ある属性の人になると不得意になる。
コミュニケーションってそんな感じなんじゃないかと思ってます。
あ、僕は合わない上司とかはマジでコミュニケーション取るのが下手になります。
もう苦手っ!て思ったら、報告もしないし、喋りもしない(喋れないが正解)ってなります。
気を使いすぎて自分が滅入ることもあるんですが、喜多さんは自分の気持ちと相手の気持ちとのバランスをどうとってますか?
以前までの僕は自分が滅入っちゃうことがあったんですけど、この1年くらいでそれがなくなっちゃったんですよね。
うまくコミュニケーションとれなくても、そんなにしんどくないんですよ。笑
というのも、きっと「まぁー、うまくコミュニケーションとれないときもあるよね。」と諦める?ことが出来るようになってきたからなんだと思います。
「ちっちゃなことは気にしない!ワカチコ現象」と命名しています。
おー、ワカチコ!!(ちょっと古い、、笑)
自分の気持ちとのバランスが取れてますねー。
きっとコミュニケーションについて勉強してきたからなんでしょうね。
僕も思うんですけど、自分が滅入ったら相手に心地良さを提供できなくなるんですよね。
患者さんは痛いとか辛い気持ちを持ってる人が多いし、攻撃的になってしまうのも仕方ないと思うんです。高次脳機能障害とかもそう。
気にしないってすごく大事。
常に冷静に相手の反応を伺っていく。
反応が悪ければ変えればいいし、良ければ蓄積していけばいい。
コミュニケーションもトライアンドエラー、そして軌道修正の繰り返しですね。
おっしゃっている通りで、傷つくよりもエラーとして処理できるようになることが大きな一歩ですね。結局すべてそこにたどりつきます。
コミュニケーションによって、患者さんに変化があった事例
喜多さん、この前Twitterで呟いてましたが、どうやって認知症患者さんを笑顔にしたのですか?
認知症患者さんがめちゃめちゃ不穏だったのが、上手くコミュニケーションした結果笑顔になった。
その評価と理論と実践を学生さんが見学してくれてて「まじかすげぇ!」となってた。
うれしい。
— 喜多一馬:リハ豆・PT-c (@rehamame) 2017年9月13日
認知症患者さんで、すごく怒ったり悲しんだりする人を担当したんですよ。
詳細記事はこちら▼
認知症患者さんとのコミュニケーションから、大切なことを再認識したんだ。
で、患者さんの言葉をいろいろ拾っていくと「こんな目になんであったのか…」「私はこんなところで何をしてるの…」「こんな情けない目に合って…」と、自身の状況をすごい嘆いていたんです。
で、「歩きましょう!」とかの声かけも「私は歩けない」という考えに繋がってしまって、余計精神的にしんどい思いをさせてしまうだろうな~と考察していたわけです。
それが次のツイートにも繋がります。
「歩けるようになってきましたね!」
という言葉が、患者さんをネガティブにさせてしまうことがある。「なんでこんな体に、、、」と再度自覚してしまう場合。
ポジティブな言葉だからポジティブになるわけではない。
— 喜多一馬:リハ豆・PT-c (@rehamame) 2017年9月13日
ポジティブな声かけでもネガティブに受け取られることもあるんです。
声かけや場所や触る事や居ること、全てを快の刺激なのか不快の刺激なのかを考えていったわけです。
そうして、出来るだけ不快な刺激にならないように工夫しながら、快の刺激をいれるようにしていきました。
今回は、快の刺激としたものはリラクゼーションでした。足が痛い事に対して痛みを出さないように介入したわけです。
声かけは「気持ちいいですか?」と、足を怪我している事を自覚させないようにしていきました。
「足が楽になったでしょ」と言ってしまうと、患者さんに「私の足は悪いんだ!」と自覚させてしまうかもしれませんので。
今のは一例ですけど、介入に関わる全てに快・不快をベースにしながらやっていったわけです。
その結果、めちゃ難しそうな顔してたのが笑顔になって、その時の介入を終えることが出来ました。
おお!すごい!
そこもやはり相手の反応を見て、対応を変えていくという感じなのでしょうか?
もちろんそうですね。形式的に「これは大丈夫」というものはおそらくあてはまらない。
現実的に療法士が悩む患者さんって、統計学的には外れ値にいるような患者さんなんですよね。
療法士が悩む患者さんって、統計学からは外れた患者さんだと思います。持ってる知識や教科書からは理解出来ない「むむむ…」にとても悩みます。そんな時こそ、解剖学などを原則に立ち返りながら、丁寧に思考を張り巡らせることが必要になってきます。
— 喜多一馬:リハ豆・PT-c (@rehamame) 2017年9月14日
だから、その場その場で対応していかないと、うまくいかない。自分の持ってる知識を総動員して、使えるか使わないかを判断して、コミュニケーションをとる。
快・不快をベースに対応を変えていく。そのときはたまたまリラクゼーションの技術を使っただけです。
快・不快をモニタリングする手段がコミュニケーションなんです。
多分痛みに対する理学療法もいっしょですよね。痛みの仮説をあげて、徒手がいいのか?物理療法がいいのか?投薬がいいのか?安静がいいのか?検証するのと同じです。
あ、確かに悩むときはイレギュラーな場面に多い気がします。
臨機応変に対応していかないと・・・
そうなんですよ。
この患者さん難しい・・ってのは統計学的にも当てはまらない、教科書にも書いてないような、よーわからん患者さんですよね。
持っている治療技術のどれが適切なのかを探る手段がコミュニケーションってことですね。
動機付け理論を選択したり、対人コミュニケーション術を選択したり・・・引き出しが多くて、柔軟に選択出来る方が絶対に良いですよね。
そこの選択をするフィルターがないと持ってる技術も効果を発揮しない。
評価には"検証"という過程も含まれているので、そこを頭にいれておかないと大変なことになります。
検査・評価実習の学生さんがいつまで経っても「これだ!」と、ならないのは介入して検証する作業がない場合が多いと思ってます。
そういう意味でも評価は大事ですね。
方法論ばかりに走っちゃダメですよね。
ちゃんと検証していけば自ずと何が良いのかがみえてくる。
理学療法士がコミュニケーションを学ぶには何をすれば良い?
いやー、いい話がたくさん聞けた。こういう対談って面白いですね。
コミュニケーションって相手の反応次第のところもあますよね。
例えば、相手が寛容だと、たとえ不快感を与えていたとしても、なかなかこちらは気づかないものです。
教えてくれたらわかるんですが、知らず知らずの間に心理的距離ができてしまう。
気づきにくいからこそ、そこにもっと敏感になるべきです。
では、実際にコミュニケーションを学ぶには何をしていけば良いのでしょうか?
まずは日々の臨床で「コミュニケーションに気を付けよう!」で良いと思います。
いきなり付け焼刃の知識や技術を使うよりも、成果はあると思います。
・普段のコミュニケーションから悩みを知る
そこから出てきた悩みを解決するために、
・本を読んだり
・セミナーに行ったり
僕のブログはコミュニケーションに特化してますので、もちろん解決へのヒントになるはずです。
喜多さんのブログでは、コミュニケーションについて主にどういった内容を取り扱っているのでしょうか?
ブログでは療法士に役立つコミュニケーションに関して情報発信しています。
対人コミュニケーションスキル、論文紹介、経験した症例に対する考察などを幅広く扱っています。
あとセミナーもやってますので、気になる方は是非。(^^)
さいごに
喜多さん、本当にありがとうございました。
すごい濃いやり取りだったと実感しています。
また、僕の臨床で大事にしている部分と似ていてすごく共感しました。
それぞれの伝え方は違いますが、本質はおそらく同じような気がします。
コミュニケーションって正解はないと僕は思っています。
自分が正しいと信じている方法でも、実は他にも良い方法があったり。
そういう曖昧さがあるから、歯がゆさがあったり。
こうして「コミュニケーション」という議題だけでもほんとに考えることが多くてとても勉強になりました。
喜多さんのブログPT-communicationsでは、現場で働くリアルなコミュニケーションのあれこれを書いていますので絶対に役立ちます。