考察

脳死って臓器提供のための概念じゃないの?

投稿日:2017年1月14日 更新日:

脳死とは、心臓や臓器は機能しているが、脳の全機能が死んでしまった状態のことをいいます。

植物状態と比べられることもありますが、植物状態とは人間の意思・決定に関わる大脳は機能しなくなったのですが、呼吸などの生理的機能に関わる脳幹は機能している状態をいいます。

脳幹が機能しているかどうかは大きな意味を持ち、脳死の状態は自発呼吸が不可能な状態といえます。

 

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「脳死」は未来の死を意味する?

脳死の状態は、自発呼吸ができないわけなので人工呼吸器などで命を繋ぎます。

しかし、長く生きられるわけではなく、今の医療技術でも、近い未来に必ず死が訪れます。

脳は死んでいるのですが臓器は生きている状態。そこで臓器を他の人に提供することで第2の母体として生きていくことは可能です。

つまり、「臓器提供」という手段をとるのです。

ここで問題があって「臓器提供」というものを行うためには、母体が死んでいては困ります。

じゃあ、「生きている」うちに臓器提供しないといけない。ってことになると、

「生きている」うちに?ってことは、臓器を取り出すことは殺人になるのか?ってことになるので話がややこしくなります。

 

脳が停止すれば「死」なのか?

心臓が停止すれば「死」なのか?

個人的には、身体の全機能が停止して、はじめて本当の意味での「死」とするのではないかと考えています。

いずれにしても、身体の一部が機能しているなら生きているってことではないでしょうか?

ただし、心臓を動かしているのは脳です。心臓は脳に栄養を送ることで、脳が機能するのです。

どちらも機能していなければ生きていくことはできません。

臓器提供を考えるなら、やはり心臓が停止していたら困ります。

脳死の概念って何?

「脳死」の概念は、国の文化によっても異なるものの、やはり同じ人間としては人の死を簡単に受け入れるのは難しい話です。

それは、どの国にも共通の概念であり、同じ国内でも賛否が分かれる非常に難しい問題です。

「脳死」は本来の意味の「死」ではなく、臓器提供する際に使われる概念だと僕は考えています。

本当の「死」が訪れる前に臓器提供をするか、しないのかという意味で「脳死」という言葉が使われるのだと思います。

「脳死」した状態(診断されてはじめて「脳死」となりますが…)として、選択されるのは、そのまま「死」を待つのか、臓器提供をして命を繋げるかの二択になります。

どちらにしても、元のように会話したり、自ら動いたりすることはないわけで、そのことを周りの人が受け入れるかどうかが大きな分かれ道になるのではないでしょうか。

脳死と知らされた家族が通る道

僕は理学療法士として、日々患者さんと関わっていますが、障害を負った患者さんとの関わりで考えることがあります。

それは、個人的な見解としてある程度予後が予想され、しかも回復に限界がみえるとき、どのように本人やご家族に予後を理解してもらうかということです。

理解してもらう方法は大きく分けて二つあります。

●医師など他者から予後を伝える。

●患者さん自身で予後に気づいてもらう。

というものです。

障害を負った患者さんは、障害受容という過程を踏むことが予想されます。

障害受容では、障害や何かしらショッキングな出来事があった場合に以下の過程を踏みます。

 

ショック期 ⇒ 否認期 ⇒ 混乱期 ⇒ 解決への努力期 ⇒ 受容期 ⇒ (適応期)

 

これは、障害を負った当事者だけでなく、その周りの家族も同じような過程を踏みます。

障害受容の最終ゴールは受容期や適応期なのですが、他者から働きかけて、無理やり障害を受け入れてもらうということではありません。

いかにして患者さんが納得のいく限り障害と向き合い、努力するかが障害受容において大切なのです。

理学療法士からみれば、例え無駄じゃないかと思うような努力でも、患者さんが期待し、努力しているのであればそれに付き合うのも一つの方法です。

決して頭ごなしに否定してはいけません。医学はまだまだわからないことが多いのです。もしかしたら医療従事者が思っていた以上の回復を見せるかも知れません。

障害受容の過程について)

 

「脳死」をテーマにした小説)

 

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